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日本の古都はなぜ空襲を免れたか

古都鎌倉を戦火から救った恩人?

JR鎌倉駅西口にある「時計塔小公園」の中にうっかりすると見過ごしてしまう小さな碑がある。ラングドン・ウォーナーという米国人美術史家の碑である。写真をよく見ると1987年4月の建立とある。

この写真は2ヶ月ほど前に自転車でわざわざ撮りにいったものだが、今回はこの数奇な米国人を巡る戦後の歪んだプロパガンダについてまとめてみたいと思う。

ラングドン・ウォーナー碑

文化は戦争に優先する

Wikipediaの記述にもあるように、京都が米軍の空襲を受けなかったのは歴史的文化財の価値をよく理解していたラングドン・ウォーナーが上層部に進言したことによる、と今でも多くの日本人は思い込んでいる。(という私もそのように信じ込んでいた一人であるし、最近京都在住の叔母とこの件について話したがやはり同じような認識だった。)

あれだけ圧倒的な軍事力を持ちながら京都を攻撃しなかったアメリカという国はなんと文化に対する理解が深いのだろうと、ほとんどの日本人は学校で教えられた経験があるのではないだろうか?

ところが、これはとんでもない作り話であった。

日本の古都はなぜ空襲を免れたか (朝日文庫)

この本の存在は恥ずかしながら最近知ったのだが、残念ながらすでに絶版となっている。

図書館で探したら幸運な事に見つかったので早速読んでみた。そして大変なショックを受けた。

京都が空襲を受けなかったのは、文化財を守るためなどではなく原爆の有力な投下候補地として選ばれていたからだであった。

原爆の威力はまだ未知なものであったため、投下後に被害状況を正確に分析するには空襲から無傷な都市を選定する必要があった。

むしろ、かなり早い段階から候補地となっていたため京都は戦争を通じ空襲から免れたと言った方が正しい。京都は碁盤目のように道ができておりある程度の広さを持っているので、事後解析には理想的な候補地であった。

本書によると具体的な攻撃目標は現在の京都駅西方、京都鉄道博物館(旧:梅小路蒸気機関車館)あたりだったらしい。

京都に原爆を投下するための進入コースを確認するためのシミュレーションが何度も行われた記録が残っている。

なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか (PHP文庫) Kindle版

京都が原爆の目標となっていたということは、昨年この本を読んで浅く理解はしていた。

原爆開発プロジェクトの責任者である米陸軍グローブス将軍は、『「京都に原爆を落とせば、日本人の心理に大きな影響を与え、戦争を終わらせるのに最も効果的である」と主張した。京都についてはいろいろな意見が出されたが、原爆投下の現地最高指揮官になるカーチス・ルメイ将軍は、「京都には歴史と美術品があるだけなので軍事的な意味がない」と、京都爆撃に反対した。(読書位置:1122)』とある。

このあたりのことは昨日(2016年8月6日)に放映されていたNHKスペシャル「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」でもふれられていた。

残念ながら、京都の文化的価値が考慮された形跡は見られない。

結果的に、スティムソン陸軍長官およびトルーマン大統領による戦後の占領政策に関わる高度な政治的判断によって、グローブス将軍の京都案は退けられることとなったが、もし仮に3発目の原爆が投下されることになったら京都への投下が再び検討された可能性も否めない。

むしろ、(どの文献にも書かれていないが)昭和天皇に対して京都が次の標的になっているという米国の意図が伝えられ、昭和天皇が無条件降伏を決断したという可能性は十分考えられると個人的には思う。

アメリカという国を冷静に見る

アメリカという国の底力は物質的だけではなく精神的にも占領政策を成功裏に進めたことだ。

一美術史家の進言が原爆投下地点の選定に大きな影響を与えたなどということは、冷静に考えればありえないのは(現代からすれば)明らかであるが、京都、奈良、鎌倉という古都が軒並み戦火から免れた現実が、日本人の判断力を鈍らせ結果的にアメリカという国を美化することになった。

ちなみに、奈良も鎌倉も小さすぎて軍事的には何の価値もなかった(ので空襲から免れた)。

ラングドン・ウォーナー自身は積極的に自分が日本の文化財を守ったと喧伝したわけではなさそうだが(肯定も否定もしなかったようだ。)、残念なのは日本人の側にウォーナーを賛美し真実を隠す結果をもたらした人たちがいたことだ。

そのような人たちの努力と占領軍の方向性が見事に合致し、アメリカの無差別攻撃に対する日本人の非難はどこかへ行ってしまった。

日本軍の指導層には本土決戦もやむなし、2000万人玉砕などと言って降伏に反対した者もいたらしいが、それだからこそ昭和天皇の決断は大きかったし、その昭和天皇をうまく利用して占領政策を進めたアメリカという国は相当にしたたかである。

矢部宏治氏の日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのかを読むと、日本は未だにアメリカに占領されているという現実を思い知らされる。

1発で10万人以上の人間を殺傷できる原爆を2発も一般市民の上に落としたのは歴史上アメリカだけであり、落とされたのは私たち日本人であることは決して忘れてはいけない。

しかし、それはアメリカ人に憎しみの気持ちを持ち続けることではなく、アメリカがこれから同じような過ちを犯すことを冷静に止めさせることである。

戦後71年という長い時間をかけて多くの呪縛から日米双方の国民が解放されつつあるように思う。

碑文論争への終止符

広島原爆死没者慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。

この文章の主語は一体誰だ?という碑文論争がずっと続いていたが、今年5月27日にオバマ大統領が慰霊碑を訪れ、犠牲者に黙祷を捧げ献花を行った。

原爆を落とした側の元首が広島を訪れ加害者であることを認識した上で、この碑文の主語に「人類」を当てはめたのは画期的なことであったと思う。

ところで、原爆保有国であり国連常任理事国である中国の脅威論が近年台頭している。

この脅威に対して日本の核武装論が根強いが、これについては冷静かつ慎重に歴史から学ぶべきだ。