第10章は、これまでの集大成としてデータ分析の目的と成果について述べられている。
第10章 データ分析で成果を出すために
10.1 データ分析が成果を出すために必要なこと
モデルとは
モデルはどう作成するのか
「式」はモデルの代表的な形
データ分析はプロセスであり成果物ではない
意思決定者とデータ分析者は分ける
国家の意思決定から発展した「インテリジェンス」
意思決定者とデータ分析者の壁
ビジョンとスキルで壁を越える
データサイエンスの実践に求められるスキル
データサイエンスのタスク
チームとしてのデータサイエンティスト
社内SQL勉強会のすすめ
10.2 さらにデータサイエンスのスキルを身につけるための参考書籍
SQL関連
エンジニアリング関連
データサイエンス関連
ビジネス関連
10.3 結びにかえて
モデルとは
まず、ここではモデルについて明確化している。モデルとは現実世界を抽象化したものであり、データ分析とはデータからモデルを作成する役割を指す。
そもそも、データとは何であるか?本書に面白い表現があったので紹介する。
「データというものは、現象が放つ光です。そのさまざまな色合いの光を集めて現象を理解します。」P.332
ところで最近、別の本を読んでいて似たような表現を目にした。「私たちは、物に当たった太陽の光や照明の光のうち、吸収されずに反射された光を見ている。どんな種類の光を吸収しやすいかは物質によって異なるため、反射される光の種類も異なる。それによって、物の色が決まる。」~文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る~
つまり、我々が赤いリンゴを視認することは、(太陽等の)光が当たって赤以外の光が吸収された結果、赤の波長の光だけが目に届くという仕組みによる。従って、本物のリンゴではなくて写真のリンゴを見ても同じようにリンゴと認識できる。
言い換えると、光(データ)を注意深く観察することでリンゴという実体(現実世界)を認識することができるということであり、リンゴの特徴を描いた絵や写真がモデルであると理解した。
例えば、顧客の購買データを分析することで、「顧客の買う/買わない」という現象をとらえモデル化を行う。モデルを作ることにより顧客にとってより購買につながる行動とは何かが見えてくる。
このように整理することでデータ分析の目的がストンと腑に落ちた。
データ分析はプロセスであり成果物ではない
つぎに、「データ分析はプロセスであり成果物ではない」という箇所であるが、著者は、
データ分析者によるデータ分析を、料理人による食材の調理にたとえている。
食材(データ)を調理道具(SQLやツール)によって調理し、最終的に美味しい料理(データ分析結果)として客(意思決定者)に提供する。
料理人の役割は客に料理を提供するところまでであり、どんなに自分の作った料理に自信があったとしても客が「美味しい」と思わない限り何の意味もない。
「データ分析も、データを活用して経営に影響を与え、業績に貢献するなどの価値が生まれて、はじめて意味をなす。」(P.337)
意思決定者とデータ分析者は分ける
また、「意思決定者とデータ分析者は分ける」という箇所も興味深い。
これは、意思決定者がデータ分析を行うと、結論ありきの分析に陥りやすいことを示している。(思考バイアス)
「データ分析者は、客観的な立場で分析を行い、データと向き合い客観的な結果を出します。意思決定者は、その分析結果に基づいて意思決定を行うようにします。」(P.338)
国家の意思決定から発展した「インテリジェンス」
そもそも、「インテリジェンス」とは国家の意思決定に必要な「情報分析」であり、インテリジェンス機関の例としてCIA(Central Intelligence Agency)が挙げられる。CIAは米国が国家として安全保障上の重要な決定を下す際に必要な情報を分析する機関である。
もし、大統領を忖度し思考バイアスがかかった分析が行われてしまうと、国家にとって誤った判断を犯す重大なリスクがある。
実際に、米国はCIAがもたらした「イラクには大量破壊兵器が存在する」という誤った分析結果によりイラク戦争を起こした。これは、インテリジェンスの失敗例として検証が必要であろう。
インターネットにせよ米国発の技術は軍事からのスピンオフが多いが、このインテリジェンスをビジネスにおいても活用しようとするのが「ビジネス・インテリジェンス」である。
はじめて 「ビジネス・インテリジェンス」という言葉を聞いた時、なぜ「インテリジェンス」なのだろうかという素朴な疑問を持ったのだが、意思決定者とデータ分析者を分けるという観点では全く同じ発想であることに、本書を読んで大いに納得できた。
チームとしてのデータサイエンティスト
データ分析者が「自分がせっかく作ったデータ分析の価値をわかってもらえない」と嘆き、一方で意思決定者が「データ分析結果がさっぱりわからない」といらだつ。。。というのは著者が今まで沢山目にしてきたことなのだろうが、両者の間に立ちはだかる壁を乗り越える必要がある。
著者は、これを「 ある時点までに達成したいと考える到達点を表明したビジョンを共有すること」と 「 データサイエンスの実践に求められるスキル を磨くこと」で乗り越えられることを強調している。
後者には
- ビジネス力(Business problem solving)
- データサイエンス力(Data science)
- データエンジニアリング力(Data engineering)
という3つのスキルセットが必要だが、いわゆるデータサイエンティストとは一般的に一人でこれらすべてに精通したスーパーマンという印象がある。
”Harvard Business review誌のシニアエディターであるスコット・ベリナートは、「そのような人物はユニコーン級に希少である」と断じています。”(P.346)
ところが、著者は「それぞれの能力を持つ人達が集まり、チームとしてデータサイエンスの価値を生み出す」(P.346)ことができると主張する。つまりスペシャリスト集団としてのチーム力で乗り越えられるとの考えである。
これは、基幹系のエンジニアにとってもスキルシフトする道が開けるのではないかと思った。
まとめ
今更であるが、経済産業省が昨年出した「DXレポート ~ITシステム「2025年の崖」克服とDXの本格的な展開~」が気になって最近読んでいた。
そこに、今回の書評のお話がありデータ分析について学ぶ機会に恵まれたのであるが、「デジタルトランスフォーメーション」を単なるバズワードにしないためには、やはりデータ分析が不可欠であると感じた。
現在の私はデータベースの性能問題解決に特化した仕事が多いのだが、多くのプロジェクトでは「〇〇刷新」と言いながら、インフラ周りをリプレースするだけで、業務アプリケーションは「現行踏襲」が原則で、データを利活用した業務の大幅な見直しなどというケースには残念ながらほとんど遭遇したことがない。
”IT関連費用のうち8割以上が既存システムの運用・保守に充てられている”
”複雑化・老朽化・ブラックボックス化した既存システムが残存した場合、2025年までに予想されるIT人材の引退やサポート終了等によるリスクの高まり等に伴う経済損失は、2025年以降、最大12兆円/年(現在の約3倍)にのぼる可能性がある”
上記レポートにはこのような悲惨な現状および近未来が描かれているが、やはり根本原因は経営者のITに対する無理解と無関心にあるのではないかと思っている。
しかしながら、データ分析が経営にもたらす成果を経営者が実感できれば、世界は大きく変わるとも思う。
つまり、データ分析は真のデジタルトランスフォーメーションにとって必要不可欠と思うのである。
その意味でも、本書の内容は多くに人に知ってもらいたい。
このような機会を与えてくださった西潤史郎さんに感謝しつつ、この書評を締めくくりたいと思う。
終わり